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小泉さんはふたつ下
人の年齢の出方は年代によって異なるが行政が定義した高齢者すなわち65歳を過ぎると身体機能も運動能力も脳の活動もその人が何歳かよりもそれまでの人生がどうであったかが決定的な役割を果たしているように思われる。その辺りは似たような年格好だと直観的にわかるものだ。つまり気が合う合わないは本能的にわかるようになっているらしい。
このところ朝なにかとやることがあってウォーキングに出る時間が少し遅くなっていたが今日はいつもの時間に出られた。そのためだろう丘陵公園の頂上展望台で小泉さんに会った。半月ぶりぐらいだろうか。実は予感はあった。ほぼ同時に気付いていたが今日は向こうから声をかけてきた。ぼくも話してみたいと思っていた。
おはようございます。
おはようございます。
いつも写真を撮っていますね。
ええ、昆虫と花です、好きなんですよ。
わたしもこどものころは昆虫が好きでした。
いつもこの時間帯ですかね。
そうです。もうリタイアしていますから。
ぼくももう仕事はしていません、前はもっと早く出ていたんですよ、夜明けとともに出ていました。
ああ、わたしもです、でも熊が出るようになって遅くしたんです、怖いですから。
ぼくもです、熊が出てから時間を遅らせました。
コースは決まっていないようですね。こっちから登っていたりむこうからだったり。
ええ、決めていません、墓地のなかもよく通ります、三子牛(みつこうじ)の方まで行くこともありますよ。
こんな感じで堰を切ったようにいろいろ話した。健康に関することも話したのはそこはお互い“高齢者”だった。一方プライベートなことは話題にしなかったがそれが垣間見えるシーンもあった。たとえば小泉さんはぼくよりふたつ年下で学年はひとつ下だった。白髪の割合からきっとそうだと思っていたのが当たっていた。それから家はきっと近くでそれもこっち側ではなくて向こう側だろうと思っていたがそれも当たっていた。えっ、こっち側とか向こう側じゃわからない、ここまでだよ明かせるのは物騒な世の中だからね、それにぼくらはまだお互い名乗ってもいないんだから。“遠慮しい”というかふたりとも積極性がなかった、いや、普通に金沢人らしいことだった。ぼくらは歩くために標高150メートルを登って来ている。立ち話のあと歩きながら話した。
これはマユミですがこの木には虫がたくさんきます、同じマユミでも虫が来る木と来ない木があります、むこうのミズキはハナムグリが来ます。
コハナムグリですか、もう花は終わっていますね。
ええ、そうです、でも今年は見なかったな、あの上のミズキでは見ましたよ、コハナムグリとクロハナムグリがいました。
という具合だったが小泉さんは花や虫の名前をよく知っていた。道が分かれるところまで来て、
こっちですかあっちですかぼくはこっちです。
わたしはあっちっです。
ではまた。
はい失礼します。
と言って別れた。いずれにしてもここまでいろいろ話せたのは以前から互いに意識していた証拠でどんな人なんだろうと興味があったからだがぼくは小泉さんが思っていた通りの礼儀もあり教養もある人だと確認できた。小泉さんがどう思ったかはわからないが次はもうちょっと知り合うにちがいない。
大乗寺丘陵公園を平日の朝に歩いているのは老人ばかりだがその老人たちは単独であることは稀で明らかにいくつかのグループを形勢している。夫婦でグループに参加する老人もいる。グループのメンバーは元々仲間であった場合もあるが自然発生的に集まったという場合もある。その複合体という場合もある。ひとりの老人がいくつものグループに属することも多い。話が合うから容易にグループを形成する。ぼくも小泉さんもそんな老人グループにはすれちがいざまにあいさつしてもそこに加わることはない。年が離れているからというのではない。確かに年が離れているのだがそれゆえにではなく“話が合わない”と直観的にわかるからだ。今日ぼくらふたりはそれぞれの頭と心で確信していた。この人ならいけそうだ。えっ、それって勘違いじゃないのかって、それでも別にいいじゃない別に・・・。 2025年5月14日 虎本伸一(メキラ・シンエモン)
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